同窓会に海外留学報告書を提出するよういわれたので、サラッと書いてみました。
どうせ公開されるので、ブログに上げておきます。
写真は渡英してすぐの頃。
最初の自宅での様子。
みんな若いなあ。
2009年2月より当初2年間の予定でOxford大学のOCDEMで研究の機会をいただきました。結局、イギリス、カナダ、スウェーデンで職を得ることができ、6年半にわたる海外生活になりました。本稿では、この間、何があったのかを大まかに紹介します。
行き当たりばったりの無計画留学
2007年までの私は、大学院生としてインスリン分泌機構について研究をしており、特にGLP-1に関する論文を書いたりしていました。2008年当時、私は亀田総合病院で臨床医として仕事をしていましたが、Oxford大学からのお誘いがあり、研究者としてイギリスに渡ることになりました。2009年2月より、電気生理で有名なPatrik Rorsmanのラボに電気生理の知識、経験ゼロ、しかも英語が話せない状態で参加しました。最初の1年は英語と電気生理学の基礎を学ぶだけで精一杯で、あまり役に立ちませんでしたが、どうにか実験の技術をものにしました。自分の研究テーマであるGLP-1についても続ける許可がもらえ、ある程度のデータを取ることができました。
イギリスからカナダへ、そしてまたイギリスへ
2010年、リーマンショックの影響から世界中で研究予算のカットが行われ、Oxfordでも有名なラボですら閉鎖になり、多くの研究者が職を失いました。Rorsmanラボでも研究費が底をついたため、当時の同僚は自分の国に戻ったり、研究を断念して転職したりと大変な状況でした。そんな中、PatrikがカナダのAlberta大学で研究費を取ることに成功し、私も電気生理学者として誘われました。帰国が遅れることになりますが、せっかくデータが出だしたので論文を書いてからのほうが良いだろうと考え、加来教授と相談のうえ、この話に乗ることにしました。
2011年4月、カナダでの労働者ビザを取って極寒のEdmontonでの生活をはじめました。教室の立ち上げを手伝いつつ、Oxfordでの実験結果をもとに論文を書いていたところ、Patrikが再びOxfordで研究費を取り、イギリスに戻ることになりました。半年足らずのカナダ生活でしたが、多くの出会い、経験があり、視野は拡がりました。
同じラボのメンバーと国際結婚、Professorとの対決
2011年10月、イギリスに戻って実験を再開し、カナダで準備していた論文をPatrikに見せたところ、「こんな結果になるなどあり得ない。」と言われ、日本に帰ろうかと考えていた頃、新しくラボに参加してきた妻に出会いました。6月に入籍し、今後について話し合った結果、Oxfordで研究を続けることにしました。この内容をヨーロッパ糖尿病学会(EASD)で口演することになり、準備していたのですが、発表前日にPatrikに呼び出され、「こんな内容をこのラボから発表させるわけにはいかない。スライドを変更しろ。」と言われました。4時間以上激論の末、内容を守ることができ、プレゼンテーションとしても成功だったと思います。この決戦以降、ラボのメンバーからも一目置かれるようになり、彼との関係もむしろ良くなりました。
その後、2013年にOxfordの病院で長男が生まれ、育児に追われることになります。最初の3か月は日本語も英語も通じない妻の両親が来てくれて、ある程度仕事もできたのですが、その後はあまり実験した記憶がありません(データは残っているのでやっていたようですが)。海外での共働きという環境は本当に大変でしたが、周りの人たちに随分助けていただき、どうにか乗り切ることができました。
イギリスからスウェーデン、そして帰国
2014年にラボが再び財政難となり、今度は家族でスウェーデンに移ることになりました。Oxfordで実験するために、スウェーデンとイギリスを往復する日々でしたが、家族と双方のラボのメンバーの協力を得て、無事データが揃い、論文がかたちになりました。
GLP-1作用機序の基本原理を書き換える内容で、Nature、Scienceクラスに出せる内容という意見もいただいたのですが、こういう論文は様々な事情で通りにくいことも知っていました(論文を審査する人たちは既存の理論をもとに仕事をしてきたことでその地位を得ているため、感情的にそれをおびやかす新しい理論を拒絶する事が多いという矛盾がある)。結局、Journal of Clinical Investigation(JCI)に投稿、最悪、数年はJournalの変更やコメントのキャッチボールをする覚悟でしたが、意外なことに最初から好意的な返事をいただき、無事アクセプトとなりました。10年近くに及ぶ私のGLP-1研究に区切りをつける論文であり、本当に嬉しく、誇らしく思います。
おわりに
生きて帰ればOKというような低い志で出国したのですが、あらためて振り返ると、我ながら頭がおかしいとしか思えないような波乱万丈な海外生活を送ってきました。私自身としては、既存の概念を覆す研究成果を残せただけでなく、かけがえのない家族を得ることができ、心から満足しています。このような素晴らしい経験をする機会を与えていただき、大学および関係者の皆様には心より感謝します。